砂漠地帯がその大地の殆どを占める西国の地には、食料生産地がなかった。
元々が新興国であったから、食料生産令によって食糧生産地が作られることもなく、食料は燃料を売った資金を使って、藩国外から買い付けてまかなっていた。
しかし、国民が一気に増えた事により、食料事情に不安の影が差した。
当面はNACから大量に買い付けた食料でまかなえるが、その先は・・・。
国民の生活を護る為、万が一食料が輸入できなくなった時に備るべきである、という話がすぐに持ち上がった。
政庁から出た提案は、食料プラントを作り、そこで効率の良い栽培方法を取るという方針であったが、国民は緑化運動によって大地に緑と実りをもたらす事を望んだ。
奥方が緑化運動に熱心であったからか、藩王も二つ返事で国民の要望通りに計画を書き換えた。
国民が増えたことで帝國から新しく与えられた土地を、開拓専用とした。
これは工場群が広がる地域に穀倉地帯を作るのはあまり得策ではないと考えた、緑化運動のリーダー的な国民からの提案だった。
また、開拓事業をきかっけにこの藩国に根付く事を希望した国民からの要望とも一致した。
藩国の首脳陣にもここなら多少植生を変えても影響が少ないのではないかと判断され、翌週にはオアシスを中心とした穀倉地帯の開拓が正式に開始された。
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開拓は、まず、オアシスの周りをぐるっと防砂林で囲う事から始まった。
それなりに広い開拓地を囲うには、塩害に強い品種の樹木を植樹するだけではとても補いきれなかったから、足りないところは防砂壁を使用することにした。
これも当面の話で、少しずつ防砂壁を樹木へと置き換えていく計画が立てられていた。
砂漠は、当然の事ながら、そのままでは農地として使えない。
そこで他国から腐葉土を買い付ける案が持ち上がった。
砂漠の砂はミネラルが多く、エステや砂風呂などに適している。
それを売って腐葉土の購入資金とする計画が立てられた。
この時、開拓事業参加者の中で一つの声があがった。
「この西国の砂を、土を使って農業をやってやろうじゃないか!」
土を全て入れ替えてしまえば開拓は簡単になるが、それはここが西国でなくなる事を意味すると、彼らは熱く語った。
この件は議会でも取り上げられ、藩国をあげての支援が始まった。
開拓計画に多少の遅れは生じるが、耐塩性をもつアツケシソウなどの植物を植え少しずつではあるが緑を増やしていく事で、全体としての進捗の遅れを最小限に留める案が出された。
その間に、西国の砂や土を少しでも農地に向いたものにする方法を、科学者達は皆で考えた。
機械の製造も急ピッチで進められた。
そうやって砂や土から丁寧に取り除いた取り除いた塩分を「砂漠塩」という名で大々的に売り出し、その資金を開拓事業の資本に費やした。
またたく間に「砂漠塩」はバザールにやってきた観光客が必ず購入するほどの名産品となった。
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開拓事業に従事する国民達の心の支えとなったのは、オアシスの近くに植えられた、1本の松の木。
そして、その近くに作られた小さな社。
彼らは一日のはじまりと終わりに、豊穣を願い社に祈りを捧げた。
宗教など関係なく、1本の松の木と1つの小さな社は、彼らの願いのシンボル的な役割をしていた。
当番を決めたわけでもないのに朝には誰かが供物を捧げられており、休憩時間にみんなでおさがりをいただく。
それが彼らの心に結束と癒しをもたらしていた。
国民達の祈りが届いたのか、ある日の夜明け前、松の木から鈴の音が聞こえたかと思うと、社の扉から鈴を持った小さな少女のような神と、二本足で歩く猫の神、ぬいぐるみのように見える犬の神が現れた。
それとともに防砂林がまるで神社の杜であるかのようにふくれあがり、一斉に生い茂った。そして、一帯は澄み切った空気に包まれた。
神々は人知れず豊穣の祈りを捧げ、少女のような神は土地に、猫の神と犬の神は植物に、わずかばかりの生命力を与えた。
神々が社に戻ると、防砂林は元の姿に戻っていった。
国民達は毎日汗水たらして作業を行い。
神々は週に1度くらい、気まぐれのように思える頻度で大地を潤し。
そして、曲がりなりにも穀倉地帯と言える環境ができあがった。
国民達は実りの大地に感謝し、土地を枯れさせないようにする為、穀物−牧草−飼料の輪作を行う事とした。
目の前の収穫量よりも、よりよい未来を選択したのである。
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初めての収穫祭は国をあげて行われた。
収穫祭は開拓事業には参加していなかったものの事業成功に感謝する多くの国民も集まって、盛大なものとなった。
開拓事業の成功を信じて待っていた藩王と摂政は、それぞれに苗や若木を用意して参加した。
お互いにその事を内緒にしていた二人が顔を見合わせたのは言うまでもない。
集まった皆が協力してそれらを植えていった結果、オアシスの緑は以前にも増して美しく輝いた。
翌朝、昇りかけの朝日に輝くオアシスを見、「我らの手で作らずとも杜があるではないか」と神々は評した。
いつものように豊穣の祈りを捧げると、杜は一層神々しくふくれあがり、何もせずとも奇跡が起きるのではないかと思わんばかりになった。
人々の努力と感謝を忘れない心をよしとした神々は、最後の仕上げとして地下水脈を湧出させ、これからも彼らを見守っていく事に決めた。
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善き神々は、その力をもってすれば短期間で砂漠を実りの大地に変える事ができた。
しかし、それを行えば人々の努力を否定することにもなりかねないと理解していたから、最低限の助力だけに留めることにした。
その結果、時間はかかったものの、人々は実りの大地だけでなく、達成感と自信と感謝と、温かな心を得ることができたのである。
その後も開拓は進み、階層1つ分が大きな農地となった今も、国民達はいつも誰かに見守られているように暖かい何かを感じている。
もしそこに猫の神様や整備の神様がいたならば、善き神々が人々をそっと見守っていることに気づくだろう。